96.祖母の日記
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早朝、出張先のホテルに訃報の電話は入りました。思いがけない祖母の死でした。先月、敬老の日に、忙しさに取り紛れて、間に合わせでお花を贈ったきりでした。今日まで電話一本入れていなかった自分を悔やみました。「いつまでも元気でいるもの」として生活してしまっていました。「仕事が忙しい」と言いながら、しばらく帰省もしませんでした。
仕事をキャンセル、延期して、久しぶりに島根の実家に戻りました。やろうと思ったら、いくらでも仕事は動かせるものです。事情を察して、快く日程を変更してくださった皆様に心から感謝です。研修の日程など動かせないものと思っていました。ありがたいの一言です。
私にとって、祖母は母以上に厳しく、威厳のある存在でした。曲りなりにも、今、私が「年齢のわりには・・・」と評価していただけることがあるとするなら、それは祖母の影響だと思っています。感謝してもし尽くせないものがあります。
滞りなく祖母を見送った後、祖母の日記を発見しました。几帳面に亡くなる前日まで書かれています。その日まで、祖母がこの家で、何を食べ、誰と会い、何を思って生きてきたのかが映画を観るように再現されました。9月18日:「尚子がお花を贈ってくれた。いつも気にかけてくれて嬉しい」。ちゃんと書いてくれていました。ああ、ごめんなさい。お花なんかより電話を一本入れればよかったのに。泣きながら読みました。
驚いたことに、祖母は、いつ、誰から、どんないただき物をしたのかを克明に記録し、感謝の言葉を書き連ねていました。手紙をもらったことも、電話をもらったことも含めて、自分に対して向けられた好意の気持ちに対して、心から感謝し、お返しをすることを決して忘れまいとする祖母の習性が手にとるようにうかがえました。
感謝をして生きること。今、こうして仕事をいただけることも、好きなことをして毎日を送れることも、周囲の多くの方々のおかげ。忙しさに取り紛れて、それを忘れそうになっている私に、祖母はやはり教え諭してくれる存在でした。今「当たり前」と思っていることは本当に当たり前なのでしょうか。「生きている」ということは、ただそれだけで、多くの方々のお世話になっているということ。祖母の日記はそのことをあらためて教えてくれました。