219.「違い」を認めてもらえる幸せ
「コーチング」の前提となる考え方の一つに、
“人は一人ひとりみんな違う”というものがあります。
各々の違いを認め、尊重します。
こうして、文字にしてしまうと、
そんなの当たり前!のように思われますが、
日本では、無意識のうちに、
「みんな一緒!」が求められることが
多々あります。
別に、一緒であることを強制されている
わけではない場面でも、
「他の人と違う」ことが気になったり、
問題視されたりすることが、折々にある
ように感じます。
「他の人と違う」ことからくる悩みを
抱える人が非常に多いです。
オランダの教育現場を見ていて、なぜ、
オランダの子どもたちが「幸せ」と感じるのか
その理由がわかった気がしました。
オランダの子どもたちは、
「一人ひとりみんな違う」という前提に立って、
各々の違いを全肯定されているのです。
学びたいことが、子どもによって違うように、
勉強の進み具合だってそれぞれです。
身体の大きさが違って、
体力に差があるように、
学力にも差が当然あるでしょう。
瞬時に理解できる子もいれば、
ゆっくりペースで理解する子もいます。
それが優れているとか劣っているとか
ではなく、それも単なる個人差の一つです。
それなのに、同じ教室で、同じ時間に、
同じレベルのことを同じ量だけ学ぶことが
求められる環境ってどうなのでしょうか?
先生もたいへんだと思います。
理解の早い子に合わせると、
遅い子がついていけなくて退屈するでしょう。
遅い子に合わせて授業をすると、
早い子は物足りなくて退屈するでしょう。
一律にやろうとすること自体が、
主体性からほど遠いことなのではと思います。
子どもが自分で選んだことを、
自分のペースで取り組む、それぞれの進度に
合わせて、個別対応をしていく方が、
手間と時間がかかるように見えて、
子どもの意欲が高い分、学習成果も上がる
のではないかと感じます。
また、「勉強はどの科目もまんべんなく
できないとダメなんじゃないか」と、
つい思ってしまいます。
でも、好きなことや得意なことを、
とことん伸ばしたらいいじゃないか。
苦手なことは助け合えたらいいじゃないか。
苦手なことを克服することにかける
エネルギーを、強みを伸ばす方向に
使ったら、もっと可能性を開花
させられるんじゃないか。
一定の小さな枠に押し込めて、
同じサイズ、同じ型の子どもを作る
のではなく、いろんな子どもがいて
いいじゃないか。
子どもの数だけ学びがあっても
いいじゃないか。
「この箱に収りなさい!」と
強制されることなく、常に、自分の意思と
強みを尊重してもらえているオランダの
子どもたちはとても幸せなのだと思います。