223.「子どもの可能性を信じる」あり方が土台
教育方法の斬新さや制度のユニークさも
さることながら、私が、オランダの教育現場で、
とりわけ感動したことは、オランダの先生がたの
教員としての「あり方」でした。
私は、オランダ語がまったくわかりません。
「英語とドイツ語の合いの子みたいな言語だよ」
と言われましても、何を言っているのか見当も
つきません。そんな私ですから、オランダ在住の
仲本かなさんの通訳がなくては、言語による
コミュニケーションは何一つ理解できません。
でも、非言語によるコミュニケーションは、
なんとなく理解できるものです。
非言語によるコミュニケーションとは、
言葉以外のコミュニケーションのこと、
つまり、表情や目線、姿勢、立居振舞い、
声のトーン、話すスピード、間などです。
先生が子どもに向ける柔らかいまなざし、
穏やかで相手を尊重した話し方、質問を
投げかけて、ゆっくり待つ沈黙の時間、
すべてが、「自分で考えられるよね」と、
相手を信じるあり方から発せられている
ものだと感じました。
教室や廊下で、先生が、子どもたちに声を
荒げるなどという場面には、ついぞ出会い
ませんでした。
指示命令やティーチングをしてしまうのは、
「言わないと子どもは動かない」、
「教えないと子どもはできない」と
思っているから。
オランダの先生たちの物腰には、常に、
「自分でできるよね」、
「自分で考えられるよね」という
子どもたちに対する信頼がにじんでいました。
「自分でできる力を持っている」と
信じているから、必要以上に教えようと
しなくなるのです。
子どもに任せることができるのです。
こちらがコントロールしようとしなく
なるのです。
だから、子どもたちものびのびと行動します。
主体的に動くようになります。
そこに「やらされ感」はありません。
もっと、子どもの可能性を私たちは
信じてもよいように思います。
「子どもだからできない」と思うのは、
信じて任せる勇気が大人にないだけです。
子どもは力を持っています。
子どもは、これから先、何者になるのかも
わからないぐらい無限の可能性を持った
存在です。
大人の価値判断で、「できない人」として
扱ってはいけません。
「できる人」として接する。
その土台があるから、質問も自ずと出てくるし、
自習の形をとっていても安心していられるのです。
日本にも、たくさんのすばらしい先生がたが
いらっしゃいます。
ティーチング主体とならざるを得ない環境で
あっても、子どもたちの自己肯定感を育み、
主体性を引き出している先生に、私は度々
出会ってきました。
この先生がたに共通するのは、
「子どもを信じるあり方」が土台にある
ということ。
手法が何であれ、この土台がぶれなければ、
子どもたちは伸びていくのです。