86.辛抱が必要
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雨の函館:ハリストス正教会は美しかった
この夏も、高校生の皆さんと過ごしています。我々が忘れてしまっている瑞々しい感性を持っています。教えられること、気づかされること満載の1週間です。
いつもいつも「いい子」ばかりではありません。やんちゃな子もたくさんいます。話を聴かない、テキストも開かない、落書きする、隣同士しゃべる、ふんぞり返る、イスから落ちそうになる、声をかけてもふてくされる、とにかく落ち着きなく動く、寝る、だるそうにする・・・。「ああいう受講態度の生徒をどうして注意しないの。追い出さないの」と言う人もいるようです。が、我々、講師陣は、他人に迷惑をかけない限り、厳しく注意もしなければ、決して追い出したりもしません。たしかにそういう生徒たちがいるとやりにくいのですが、それをしても、お互いが目指すゴールに行き着かないことを知っているからです。
そもそも本当にイヤだったら、勝手に脱走する人たちです。初めて、高校生のセミナーを担当したとき、私は、勝手がわからず、「はい!ちょっと!みんな!静かにして!! 聴いて!!」と叫びながらやっていましたが、40人中20人に脱走されました。高校生セミナーの手痛い洗礼を受けました。あれから3年。試行錯誤の末、最近は脱走されることはほとんどなくなりました。
まじめに聴かない、やる気がない、話している人をなめていると見える生徒を追い出してしまうことは一つの方法です。それで、私は話を聴いてくれる生徒たちだけの前で気持ちよくセミナーができるかもしれません。でも、せっかく来てくれた生徒の可能性を閉じてしまうことになります。厳しく注意をすれば、かえって反発を感じてやる気を失わせる。追い出してしまえば、その生徒が変わっていく可能性をも失う、ということなのです。しばらくは講師側も辛抱です。
先生から言われて来たのだとしても、今、ここにいることだけで、生徒たちは偉い!のです。「ありがとう」なのです。“よく来てくれたね。ありがとう”この気持ちで関わり続ける。決して見切りをつけたり、レッテルを貼ったりしない。とにかく関わり続ける。そうすると、最後は、全員が今日教えた通りの45度のおじぎをして帰っていきます。すごく上手です。ちゃんとできています。やったらできるのです。“偉い!45度のおじぎ、マスターしたね!”もし、途中で追い出していたら、それすらもできないままだったんです。
聴いていないようでも、ちゃんと聴いている。考えていないようでも、ちゃんと考えている。見かけだけで、「近頃の若いもんは・・・」と言ってはダメです。もしかしたら、大人の方がものすごく短気なのかもしれません。建設的でないのかもしれません。「本当に相手の可能性を引き出す関わり方とは何なのか?」それを見失ってすぐに自分の基準で見切りをつけようとします。もっと大人は子どもたちの持っている可能性を信じてもいいのではないでしょうか。